ごくつぶしぶろぐ!

Gokutsubushi's Blog

両親と北京観光

毎日いろいろやっているような、それでいてなにもしていないような…。
午前は留学生向けの上級中国語の授業に出て、昼は基本的に韓国人と中国人との3人かそれにモンゴル人を加えたメンツで飯を食い、午後は中国人学生の授業に潜るという日常。悪くない。
ただ僕はまともな人間ではないので、午前3時間勉強するともう頭がボーッとしてくる。じっと3時間なにかをするともう眠たくてつまらなくてしかたなくなってしまう。もし自分もそうだという方がいたら福本伸行の麻雀漫画『熱いぜ辺ちゃん』を読んでほしい。そのなかに、死の間際の老人が主人公たちに「わたしは怠惰な若者でした―。同じことを3時間もやると眠くなってしまうのです。…」と自分の人生を回想した手紙をわたすというストーリーのエピソードがある。僕はそれに感動し救われた。

一昨日まで両親が北京に来ていた。
留学にかかる費用の一切を負担してもらっている両親には頭が上がらない。2日間の日程でできる限り北京を満喫してもらおうとけっこう張り切って計画を立てたのだが、2日間に詰め込みすぎてもう若くない親を無理して歩かせすぎる結果になった。結局僕の見込み違いで長城行きの切符も買えず、長城には行けないし親父は腰を痛めるしで、至らない点が少なくなかった。
僕は昔からこうで、不器用といえば多少聞こえがいいが、他人のことをきちんと勘案できない。これは人間として致命的な欠陥だ。こんな人間と付き合ったり結婚したりしたらろくでもない目に遭うと自分でも思う。どうしてこうなっちゃうんだろう。こちらとしては一生懸命やってるつもりなのに。
でも両親は総じて言えば初の中国、北京を楽しんでくれたようで、本当によかった。それに僕が中国人の店員と談笑するのを見て留学に一定の成果があったと安心したようで、それもよかった。次があったらできるだけ歩かない旅程を計画しよう。


2日で盧溝橋と抗日戦争紀念館、天安門、故宮、円明園、それから有名な繁華街に行き、北京ダックや火鍋を食べたが、京劇を見たことが一番印象深い。面白かった。インスピレーションが湧いてきた。誰か京劇の扮装をしたキャラクターが出てくるゲームを作ってほしい。

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多言語飲み会

今日は久々に本当に楽しかった。

6時前にイタリア人のダニエル、その友人のイタリア人ルカ、モンゴル人バトゥ、中国人の世明と寮のロビーで落ち合い、そのまま近所の串屋へ。

ルカと日本語を喋り、ほかの3人と中国語を喋った。
ルカが本当に攻撃性のかけらもなく、むしろその穏やかさのために他人に攻撃されることのほうが多そうなイタリア人だったために、俺はかなり落ち着いて過ごすことができた。彼は日本語を話すし、世明もすこし日本語を話す。3人のコミュニケーションは、傷つくことのない、「優しい世界」だった。他人をイジったり、他人からイジられたり、そのことに恐々としたり、という俺がふだん参加しているコミュニケーションとはほど遠い。
もちろんバトゥとダニエルも攻撃性のない奴らだ。みな日本に興味を持っているから、日本の話題は誰も排除することのない、5人が共有できる話題となる。もちろん中国にも興味があるから、中国のこと、北京のことももう一つの話題になる。こうして排除の構造がない、温室のような場になる。
この5人はみな外国語を学び、海外経験を持っている。だから話題や話の展開のさせ方にも共通した部分が多く持てる。とにかく誰かを攻撃したり排除したりしないこと、それが我々の共有する作法だ。我々は自分の外国語が下手で奇異であることを自覚している。攻撃を受ける可能性のある、弱い存在だと知っている。だから、他人のことも攻撃しない。誰かを排除するコミュニケーションをしない。

21時前に席を立ち、所用のある世明と別れてビリヤード場へ。4人で1時間だけ玉を打ち、終わったあとコンビニでアイスを買い食いして、ダニエルとルカは人民大学の寮へ戻るバス停へ向かい、俺とバトゥは大学の寮へ戻った。

ほんとうに楽しかった。
無償の悪意をふりまいてこちらを攻撃してくるもの、こちらの欠点を執拗に話のタネにしようとするもの、そういう人間は一人もいない。
こんな無菌室のような「優しい世界」で過ごして満足していたってしかたないのはわかっている。傷つかないコミュニケーションをするために留学しているわけではない。だけど楽しかった。また飲みたい。

ただ単に、攻撃されない飲み会が精神的に落ち着けた、というだけじゃない。
それぞれ違うバックボーンを持ちながらともに外国語を学ぶ5人の飲み会は、多文化で多言語で、知的にも充実していた。卓上で中国語、イタリア語、日本語、英語、ロシア語が飛び交い、しかも理解できない外国語で会話がなされている不快感はまるでなかった。みな自然に、必要に駆られてその言語を喋っていた。言語を使う目的は、相手に意味を伝達することだ。我々は基本的に中国語で会話し、ルカは俺に対し日本語を使い、世明も日本語の会話に参加し、ルカがダニエルに何かを伝えるときはイタリア語を使い、世明が中国の食べ物や概念を他の4人に説明するときは英語を使い、世明はときにロシア語の単語でイタリア人2人に固有名詞を伝えた。コンビニでバトゥがモンゴル人の友人に出くわしたときは、しばし彼らのモンゴル語の立ち話に耳を傾けた。

会話を重ねれば重ねるほど、新しい言語を征服したいという思いが湧いてきた。イタリア語、ロシア語。英語や韓国語もいい。やはり中国語に割く時間も減らせない。
新しい言語に挑戦すれば、もちろん挫折するだろう。それでもいい。その国の言葉を一単語でも知っているということが、知り合った外国人にとっても、自分の精神世界にとっても、大きな意味を持つ。

新学期、軍事パレードと天津

新しい学期が始まった。
新しいクラスと新しい人間関係。

新しいルームメイトはフランス人。

いままでイラクラオス赤道ギニアと変遷してきたけれど、今回のはなんというか変化球だ。
仲はいい。奴はヨーロッパ人のくせ英語があまり得意でなく、もちろん僕よりは断然上なのだが、なんとかいい感じのゆっくりしたコミュニケーションが取れている。

奴はテレビが好きで、部屋にいるときはだいたい点けているのだが、今の中国のテレビには少し問題がある。
9月3日の抗日戦争勝利のパレードの報道は、日本にいる方でもイヤでも耳に入ってきたことと思う。
それと関連して、最近の中国のテレビ番組は抗日一色なのだ。
3日前後はすごかった。ほんとうに24時間全チャンネルで抗日ドラマと抗日ドキュメンタリーしかやっていなかった。僕などは不覚にも心震えた。これが社会主義かと。93年生まれの僕が21世紀の世に社会主義というものを肌で感じることができるなんて。

天津の事故からは未だ一月も経っていない。
100人という単位で人死にが出て、まだ原因も充分に説明されておらず、倉庫の安全管理の問題性やプロの消防士が多数犠牲になった体たらくの責任の所在もはっきりしないまま、この国のテレビ局はその報道の機能を停止した。
パレードはつつがなく終了した。国連事務総長も出席して、習政権としては大いに面子が立ったことだろう。パレードの日は北京の工場が操業停止命令を受け、「閲兵藍」と言われる抜けるような青空がにわかに現出した。

フランス人だからか知らないが、奴はなかなかにシニカルだ。テレビに10分おきに日本人兵士の役が(もちろん間抜けに描かれている)出てくるのを見て笑い、こちらに話題を振ってくる。もちろんこちらも笑って応じる。おかげで我々の会話は絶えないから、中央電視台には感謝しなければならない。

だけど、抗日ドラマを見てルームメイトと歓談しながら、本当は胸中おだやかではなかった。まったく笑えない。

抗日ドラマが滑稽なのはいい。僕もフランス人も中華人民共和国のテレビ局がどういうものなのかはわかっている。

フランス人がシニカルなジョークを好むのもわかっている。さすがシャルリーエブドの国だ。抗日ドラマを見て、日本の戦争責任の話をバンバン振ってくる。それも構わない。僕もEUの難民受け入れの話を振る。侵略と植民地支配の歴史に関して言えば、日本などフランスの足許にも及ばない。我々はけなし合っているのではなく、対等に会話している。毎日時事の話をして、今では奴とはけっこう仲が良い。

僕がどうしても許せないのは、中国のテレビがパレードに合わせて報道の役目を放棄したことだ。これはほんとうにおそろしい。
天津の話をしなくたって、中国国内では毎日誰かが死に、何かが発生しているたろう。それを報道することを一日であれ停止するということを僕は理解できない。僕がはじめて体験する全体主義だ。

もちろんニュース自体はどこかのチャンネルで放送されていただろうと思う。だけどあの日以降、国民のほとんどは天津のことなどすっかり忘れている。今ではニュースサイトに事故の続報など全く出てこない。ネットにはパレードに関する書き込みばかり。


日本では安保関連法案反対のデモが盛り上がっているらしい。警察庁は9月11日の震災4年半の節目に合わせて被災者の統計を再度出している。日本では軍事パレードや天津の忘却とちょうど逆の現象が起きているみたいだ。
天津の事故を軍事パレードのナショナリズムで塗り潰す中国を見て、それから日本のニュースを見て、僕はいま日本に生まれてよかったと心から思っている。

寧波初日

遡って寧波初日の日記から転載

2015/08/26

16:53
日本の子どもは小さい頃から他人に迷惑をかけないようにとしつけられるが、中国にそうした傾向はあまり見られない。パブリックな場で子どもの行動を他人に迷惑がかからないように監督してコントロールしようとしているように見える親はほとんどおらず、子どもが他人に何かしてしまっても謝らせようとしないし、親もあまり謝らない。しつけて社会性を養うより、自由気ままにふるまわせて、子どもの好きなようにさせようという印象を受ける。
なるほど、この中国人たちが日本に来れば、子どもも含めた社会の成員の社会性の高さに驚嘆するかもしれない。そしておれは日本のほうが好きだ。赤信号で止まり、ゴミを捨てず、痰を吐かない国のほうが好きだ。列に並び、ぶつかれば謝る人のほうが好きだ。たとえ高すぎる社会性が個々人のコミュニケーションや経済を停滞させるとしても。

だが中国が無法地帯なわけではない。中国人には中国人の秩序の原理がある。それを知りたい。


17:27
寧波駅着。
もはや言うまでもないが、駅を出た途端「打車打車打車」に見舞われる。白タク(中国語では黒車)の客引きだ。しつこくされる前に退散し、乗るバスを見定めてからバス停に一直線が吉。
バス停では黒車運転手が客引きしながら、脇で乞食がバスを待つ客に近づき、お碗を鳴らして施しを求める。客はみな乞食が接近すると黙り込み、視線を外して、諦めて過ぎ去るのを待つ。拒否の意思を言葉にして、どこかへ行ってもらおうとするものはいない。ただ顔を伏せ、そこに何者も存在しないかのようにじっと押し黙る。
これが社会主義市場経済ということなのか。日本にはアクティブな乞食文化は失われたが、ホームレスは(中国やアメリカと比較できる規模ではないかもしれないが)沢山いる。公園にいて可視なもの、自治体に追い出されて放浪するもの、ネカフェにいて不可視なもの。それと比べ、中国のこの堂々とした乞食文化はいったいどういうことだろう。研究したい。


19:34
旅舎で夕飯。旅舎の女性ふたりと客の男性ふたりと食卓を囲む。
普通話なのに全く聞き取れない。いつものことだ。
せっかく中国人といっしょに飯を食っているのに、終始緊張して気が気でなかった。なんとか聞き取ろうとするのだが、単語単語が耳に入ってくるだけで、文脈は全くつかめない。当然、口を挟むことなど到底できない。つらい時間だった。

どうしたらいいんだろう。

中国に来て、中国人の中国語を聞きまくれば、いつか聞き取れる日が来ると思っていた。このままではその日を迎えることなく留学最終日を迎えることになるだろう。
中国人の中国語をいくら聞いても、わからないものはわからない。
わからないゆえに蓄積しない。中国人たちの発音が耳を抜け、それを分析しようとしたときにはもう次の発音が通り過ぎていく。ひとしきり会話が終わったあとには、疲労感しか残らない。手元にはなにも残っていない。

中国の本やドラマは面白くない。
その原因の一端は俺の中国語能力にあるということに、今年になってから気づき始めた。だって、村上春樹の中国語版を読んでも全然面白いと思えないのだから。小説それ自体でなく、それを受け取る俺との間に問題があった。
中国語ができるようになれば、中国語によって摂取するあらゆるものが面白くなるはずだ。テレビも本も広告も。
さっきの晩餐はとても賑やかだった。中国人というのは言葉の応酬が日本人の比にならないくらい激しい。俺もあれを聞き取って、笑えるようになりたい。そして口を挟めるようになりたい。

中国語に関しては、たぶん学校で教科書を使って勉強するしかないのだと思う。
あと、もっと根本的に、会話そのものへの態度を変える必要があるのかもしれない。俺は本当は日本語でさえ断片を聞き取ってわかった気になっているにすぎないのだ。日本人との会話だって、他の奴が何言ってるのかわからないときがあるし、わかっているけどどこで笑えばわからないこともある。

宿のみんなが居間で近所の住民と「殺し屋」を遊んでいる。人狼みたいなゲーム。おれも前やったがクソつまらなかったし、やり方がよくわからなくてただただ辛かった。
いまは居間の隣の寝室でベッドに寝転がり、居間から聞こえてくる話し声に聞き耳を立てている。たまに聞き取れるが、笑いどころはほぼ100パーわからず。定期的に爆笑が起こるが、俺は真顔のまま。

安心する。この状態がいちばん好きなのかもしれない。他人がこちらを気にせず振る舞っているのを、外から見る。こちらはひとりだから気楽だ。ほっとする。
ひとりが好きだ。

宿 寧波住宅建設の対面、消防通道の看板の門を入って左手

0:15


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20時ごろに散歩に出かけ、夜の天一広場と外灘を歩き、なんの感慨もなく22時すぎに戻ってきた。きょうは昨夜からクソみたいなリズムが続いているから、外を歩いて少しでもまともな生活の感じを取り戻したほうがいいと思ったので。

戻ってからシャワーを浴び、宿のみんなと雑談。と言ってもやはり聞き取れないし喋れない。ここの人たちは話すスピードが軒並み速いし、なんか語彙がおれの知らない領域ばかりから選択されてる気がする。そもそもおれの語彙が少ないのが問題だが。

嫌だなあ、と思っていたら、おかみさんのスマホから日本語が聞こえてきた。『夏目友人帳』だった。このアニメがとても好きだと、作中の妖怪と神社に関する理念がこんなに素晴らしいのだと語ってくれた。
そこからみんなが日本のアニメの名を挙げはじめ、アニメと日本の話になり、普段から親しんでいる話題に軸が移動したおかげで、多少なりとも食いついていけるようになった。この分野なら語彙もある程度の受け止め体制ができているし、ストックフレーズ的な考え方のパターンも形成されているので、こちらの作文もやりやすい。

ただ、こんなにまでお膳立てしてくれたのに、やっぱりおれはうまく会話ができなかった。おかみさんが「おすすめのアニメある?」と聞いてきたのに、いざという時にパッと思い浮かばず、多すぎてなんともいえないとしか言えなかった。
頭の中に知識はある。あとはそれを引っ張り出す訓練とスピードなんだ。
結局、宮崎駿が一番有名だ、と答えたものの、おかみさんが「初期の作品は感動的だったけど、後期、たとえば『風立ちぬ』なんかはあまり良くなかったわ」と意外なことを言い放った。おれはこれになんとなく答えづらくて、そのまま流してしまった。
これに答えるために、ふだん宮崎駿を見たあと、いちいち日記に思ったことなんかを書き留めたりしているんじゃないのか?
まさにこういうときのためにおれは中国に来たんじゃ?中国人に日本人のアニメ観を伝えて、より高次の認識に引っ張り上げてやろうなんて上から目線の思惑があったはずだ。アニメ以外でも、とにかく中国人に中国語でなにかの理論に基づいた話をして、考え方を変えてしまいたいと思っていたはずだ。
なのにいざという時にまるでダメ。
ふだん日本人にはプレゼンも飲み会での語りもできているのに、言語が変わるとタジタジになる。日本語なら……日本語だったら、おすすめのアニメをたくさん紹介し、宮崎駿の魅力を存分に伝えられたはずなんだ。くやしい。

でも、なんだかんだ言ってさっきの雑談はたのしかったしうれしかった。
おれはいつも通り全然ダメダメだけど、おかみさんのおかげで、最後の最後になにかができた感触が持てて、今日という日の仕上がりがまるで違うものになった。ありがとうございます。
おれもこんな人になりてえなあ。

寧波

寧波博物館を見てきた。

寧波の歴史は日中交易の歴史。寧波が多くの遣唐使を受け入れ、また多くの僧侶や商人がこの地から日本へ船出したこと自体はわかっていたが、たとえば雪舟も寧波に来て水墨画を学んでいたなんてことは全く知らなかった。

寧波の歴史。

古くは7000年前の河姆渡文化。寧波市内からバスで3時間足らずで河姆渡遺跡へ行ける。明日行こうかとも思ったが、さすがに往復6時間は気が重い。
唐代には遣唐使が多く港を利用。「海のシルクロード」の重要拠点。
宋代は日宋貿易の拠点。
元代には日本侵攻の基地。
明代には海禁と倭寇の対策に苦心しながら日本と勘合貿易
その後も鎖国中の長崎と交易。

寧波の歴史は日本との関係性の歴史。
近代にはアヘン戦争、アロー戦争で戦場となり、のち日本軍が入ってくる。


これは個人的な思いつきだけど、中国がこれほど70年以上前の日本の侵攻について語ることを頑なに続けるのは、日本との関係性の深さの裏返しという側面があるように思われる。
個人には罪はないが、歴史的主体性の獲得というテーマを考えたとき、日本と中国の二国間関係というスケールでその間の恩讐を考えてみることは可能だ。中国は近代までずっと世界の中心であり、日本は辺境だった。中国が漢字、律令、仏教ほかの文物を日本へ伝え、日本はそれを生徒として吸収する、という構図が東アジアの長い間の秩序だった。
中国は日本にのみ侵攻されたわけではないし、日本だけが帝国主義的なふるまいをしたわけでもない。日本が大陸に出ていく前から中国は列強に半植民地化されていた。なのになぜ今に至るまで、「抗英」や「抗独」でなく「抗日」のスローガンだけが過度に強調され続けているのだろう。

たぶん、日本にやられた、ということがたまらなく屈辱的だったのだろう。
イギリスやフランス、ドイツはいきなり遠方からやってきて、中国とはまるで相容れない西洋の価値観でもって国土を分割し始めた。
それに対し日本とは1000年来の関係がある。赤の他人ではない。互いに見知った仲だし、なにより価値観がほぼ共有されている。そしてその根底を支える漢字文化、儒教、仏教などの要素はすべてかつて中国が日本へ伝えたものだ。あえてナショナリズムに支配された二国間関係で見れば、中国は日本に文物を与え続け、両国はコミュニケーションを取り続けたにもかかわらず、近代以降になると日本は列強に加わり、存亡の危機にある中国の分割へ参加した、という見方もできる。そう考えるととても悲しい。地球の反対側から来た白人に攻撃されるより、近くにずっと住んでいる対話可能な知人に攻撃されるほうがよほど衝撃的だ。
そういう意味で、中国や韓国の強烈な抗日意識は、親しさの裏返しだと個人的に思っている。好きの反対は無関心ってやつで、近所に住んでいるからこそ、良かれ悪しかれ感情的になる。

日中の歴史は基本的に日本が大陸の文物を取り入れる歴史だ。それがこのわずか100年ほどで急速に忘れられてしまっているような気がしてすこし悲しい。中国はとても近くて親しいものだし、我々の言葉や文化も中国の要素をたくさんもっているということを今一度思い出すときだと思う。

日本のカタカナ英語は恥ずべき文化か

ビリビリ動画を見ていたら、日本のアニメに出てくるカタカナ英語を揶揄する弾幕が流れていた。
中国に限らず、日本の英語発音を奇異に思う外国人の声はふだんからよく聞こえてくる。たしかに日本語のなかの外来語はもともとの外国語とは似ても似つかないことが少なくないし、生来よりそういう発音をしている日本人が英語ほかの外国語を話そうとしてもなかなか思いどうりにはいかないものだ。

言語を話すとはどういうことだろう。
外国語を話すとはどういうことだろう。

日本語は、横文字に日本風の発音をあてがう(フリガナを振る)ことで、外来語を日本語のうちに取り込む。computerはおそらくカンピューラァとでも表記するほうが現在のアメリカ英語の発音に近くなる(あくまで近づくだけでカタカナを使う限り一致はしない)だろうが、日本語はコンピューターというカナを振る。なぜかはわからないが、このほうが日本語として収まりがいいし、綴りから連想しやすいからかと思う。とにかく外来語を日本語にしようとすれば発音は外国語から遠くなる。
これは奇怪なことだろうか。恥ずべきことだろうか。もともとの外国語の発音に忠実にせねばならないのだろうか。

そもそも、「外来語にカナを振って日本語化する」という日本の外国語吸収の作法は、横文字を受け入れるときにやっと始まったものではない。
それは漢字の伝播からすでに始まっていた。

日本にはもともと音声言語としての日本語(大和言葉)はあったが文字はなかったので、大陸から漢民族の使う漢字を輸入してきて、日本語の文字として使ってしまうことにした。『大』ならdai、『小』ならsyou、というように、大陸の呉音をベースにしながらも、日本語の音韻システムに即したフリガナをそれぞれの漢字につけた。また中国語に近い音読みのほかに、大和言葉を意味の近い漢字にあてがう訓読みも考案した。こうして大和言葉を書き記す文字であるとともに、中国人の書く漢文をそのまま訓読することが可能な、日本の文字が誕生した。

外来語にフリガナをつけて、日本語にする。
このやり口を恥ずかしいと思うのなら、『大』を中国語に忠実なdaと読まず日本でしか通用しないdaiという音で読むこと、『読』をduと読まずに大和言葉を勝手に当てただけで似ても似つかないyo(-mu)と読むこと、これも同様に恥じねばならない。
つまり、外国語にフリガナを振って日本語化することは、横文字の輸入に伴って始まった悪習などではなく、日本語という言語の本質そのものなのである。日本語のカタカナ英語を否定することは日本語の漢字使用を否定することであり、そこから派生した片仮名・平仮名を否定することであり、日本語の存在を否定することに他ならない。

では、日本語だけがこのような擬制のうえに成立した言語なのだろうか。
否。フリガナを振るように、もともとは違う発音が当てられていた文字にオリジナルの発音を当ててしまうことは、文字というものそのものの普遍的な本質である。

中国語から議論しよう。先ほど『大』の「もともとの」発音はdaであると言ったが、ここにすでに欺瞞がある。「もともとの」発音とはいったいどのような発音のことだろうか。
漢字は象形文字かつ表意文字だ。それは本質的には絵文字であり、伝達するのは意味のみで、音は決定しない。『木』は一本の木の絵なのだ。意味は決定されているが、読む音は自由。その点で、漢字は数学記号に似ている。私たちは『+』を「プラス」と読んでもいいし、「たす」と読んでもいい。どちらでも、意味は不変。
ゆえに漢民族は漢文でなら意思疎通が可能だが、ちょっと地域が変わると発音がまるで違うものになり、口頭による会話が成立しないという状況が長く続いてきた。大半の幹部は会議で毛沢東の中国語を聞き取れていなかったという。
漢字に「正しい」「もともとの」読み方などないのだ。北京においては北京語が正しい読み方だし、広東においては広東語が正統だという他ない。ゆえに日本語の漢字の読み方も、大陸のそれと対等である程度の「正しさ」は持っているともいえる。

最後に英語を検討して結論に行こう。私たちは英語と似ても似つかない発音をしてしまっているということでときに揶揄され、ときに自らコンプレックスを抱くわけだが、そのオリジナルたる英語にはいかほどの権威があるだろうか。
英語は言うまでもなくラテン語ギリシャ語から派生してきた言語である。そのラテン語も文字は自ら創ったわけではなく、メソポタミアからアルファベットを借用してきて自分の文字とした。日本と同じだ。そして自分の言語の発音に即したオリジナルの発音をあてがう点も同じ。
もはや言わずもがなだが、英語も、その根源たる古代言語も、なにかの借用のうえに成立した言語なのだ。フリガナ外来語を笑うものは、nationをギリシャ語に忠実なナシオーンと読まずにネイションと読むアメリカ人のことも同様に笑わなければ筋が通らない。
そしてたとえオリジナル中のオリジナルであるメソポタミアのアルファベットや古代中国の甲骨文字を使う強者が居たとしても、それが最もオリジナル的であるように思われるということは、なんの権威付けにもならない。言語とは、相手との意思疎通のために用いるツールのことだ。相手が「コンピューター」の発音を聞いて、「ああ、あれのことだな」とわかってくれれば、それでいいのだ。そこに「意図の伝達の正確さ」以外の意味での「正しさ」など存在しない。共同体のなかで通用するなら、それでいい。
ソシュールは言語を恣意的なものと断定し、言葉の持つ意味の範囲を価値と呼んだ。その価値がわかるもの同士が言葉を交換する。言語とはそれだけのことでしかない。このへんに関しては橋爪大三郎『はじめての構造主義』おすすめ。

日本固有の文字は「片仮名」「平仮名」だが、これは読んで字のごとく、仮の名なのである。仮名は漢字を変形させた文字であり、漢字を真の名とすれば、それは仮の名であることに間違いない。日本人はそのことをよくわかっていて「仮名」と名付けた。その点で昔の日本人は自国の文字の恣意性に自覚的だった。
そしてそれは日本語のみの問題ではないのだ。すべての文字は他の誰かからの借用であり、あらゆる発音は「伝えたい相手にちゃんと伝わる」というただ一点のほかに正当性をもたない。
言語は恣意的なものなのだ。

結論。
あらゆる発音に正当性などない。みな同じ程度に勝手な「フリガナ」でしかない。
言語とは、それを共有する身内の中だけで流通するもの。日本語は日本語話者がやり取りできればそれでいいし、他の言語も同じ。
それを共有しないもの(外国人)が外からその言語を見ると、変だとか間違っているといった感想をもつ。そいつらは外国語をちゃんと勉強したことがないし、言語の恣意性について考えたこともないアホなので、気にすることはない。

蘇州から杭州へ

蘇州滞在はあっという間に終わってしまった。宿の家族との関係が終始良好だったことがすこしうれしい。

蘇州はよくヴェネチアに例えられる水の都。ヴェネチアのような瀟洒さはないが、とにかく川が多いのは確か。さらに春秋戦国時代からの歴史をもつ城壁が市内中心部をぐるりと囲んでいて、その外側に川が流れている様子などを見ると、なんだか古代の攻城戦の気配がして、歴史を感じる。


蘇州市内は城壁に囲まれている
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たぶん北の平門
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南西の盤門は水陸両門を備える
陸門
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水門
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東の相門
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北京の長城、西安、南京、蘇州と、中国の城壁をいくつか見た。こちらは園林と違って飽きない。おもしろい。日本の城とはまるでちがう。中国語の「城市」が、軍事的な建設物そのものだけでなく、人の住む街全体を表す事の意味がわかる。今の日本には街を囲む城壁などあまりない。戦国時代の城壁をあらかた壊してしまったのだろうか。そもそもそんなものはなく、天守閣を守るだけの範囲で城壁や堀が造られたのだろうか。日本史を知らなすぎる。知りたい。