ごくつぶしぶろぐ!

Gokutsubushi's Blog

あと一ヶ月

あと一ヶ月で帰国する。

北京でやりたいことは無限にある。できるなら本当はもっと北京に滞在して遊びたいし、勉強を続けたい。
でももう帰らなければならない。今年でもう22歳になってしまった。来年は23歳になる。23歳でまだ学生を続けるというのは僕の人生のオプションにはない。20代半ばでまだ働いていないというのは、僕の負い目になり、生活していくうえで心に影を落とすことになる予感がする。だから今年東京に帰り、来年就活して再来年から働く。これ以上勉強するなら働いて自分の金で学校へ行く。

ただ本当はやはり帰りたくない。北京でこのまま暮らせたらどんなにいいだろう。
ここにはLINEもTwitterフェイスブックもない。日本のスマホは外では使えない。
友人も多くない。毎日人と会いたいときは会い、会いたくないときは一人でメシを食って本を読む。人間関係が煩雑でない。
中国の社会にあって日本になかなかないと思われるのが「優しい無関心」だ。みんな他人のことをあまり気に止めないから、人から奇怪に思われないようにと空気を読む必要がない。楽でしかたない。

年末には日本に帰り、また空気を読む作業に戻る。LINEの未読既読に気を張り、フェイスブックのいいねの数を比較することになる。それが怖くてしょうがない。日本でも今みたいな孤独で充実した生活が送れるだろうか。大学に戻り、就活して企業に勤めることを思うと恐ろしくてぞっとする。うまくやっていけるだろうか。

本当はフリーランスでやっていきたい。そのために中国語を選んだ。だけど翻訳で身を立てるためにはまず一般企業に入ってキャリアを積むべきだ。
北京で知り合ったシェフの日本人は10年間中華料理店の職場を転々としている。そして本場の中華料理を学びたいと思い立ち、28にして北京へ留学に来た。僕もこんなふうになりたい。自分の意志で移動し、好きなことをし、また好きな場所へ行って働く。そのためにはもっと中国語その他のスキルを磨き、たとえ今の職場を辞めても来週から別の場所で働ける、そんな人材になることだ。

あと一ヶ月

北京のカラオケ

中国人の女の子二人とカラオケに行ってきた。中国のカラオケボックスはなぜかは知らないけどKTVという。

前に行ったときも思ったけど北京のKTVには日本語の歌がそれほど充実しているとは言えない。とはいえ外国なんだから日本語の歌が入っているだけでありがたいことなんだけど、そのラインナップがよくわからない。
たとえばスキマスイッチはあるがゴールデンタイムラバーともう一曲しか入っていない。全力少年も奏もない。Mr.Childrenはあるがイノセントワールドしかない。B'zはあるが恋心しかない。
それから演歌が全然ない。そもそも演歌だとかアニメ特撮とかのジャンル分けがなされていない。おそらく分類するほどそのジャンルの日本語の歌がないのだ。
そのくせ変な曲がちゃっかり入っていたりする。黒子のバスケのオープニングや初音ミクの歌がなぜか入っていたりして、だったら森進一を入れてくれよと思う。三代目J Soul Brothersとか剛力彩芽とか比較的新しいのもなぜかいくらか入っていたが、選曲はやはり微妙だった。アーティストも曲もどうしてこれを選んだのかよくわからない。

結局、こちらが歌いたい歌を検索するのではなく、日本語の歌のラインナップを頭から見ていって、歌えるものを選ぶというふうにするしかなかった。

余談だがアーティストのサムネイルがところどころ出鱈目になっているのがちょっとおかしかった。
f:id:tatanekoyo:20151112215234j:plain
Berryz工房にそのイメージとは似ても似つかない画像が付けられている。

僕は片っ端から日本語の歌を歌い、二人は中国語の歌を歌った。ほとんど台湾・香港のC-POPか、もしくは大陸の古風な歌だった。

終盤日本語の歌が品切れになり途方に暮れていると、女の子の片方が『千本桜』を入れようと言った。これにはちょっと困った。聞いたことある人いると思うけどこの歌すげえネトウヨっぽくてあんまり好きじゃないんだよ。歌詞も雰囲気も。まあ個人の好みだから人が何聴こうといいんだけど。
結局最後に僕が『千本桜』を歌った。桜とか日の丸とか出てくる歌詞とか、PVのミクの扮装とか、ほんと見事に日本のネット文化の保守な雰囲気を体現してるよなあと思いながら歌った。自由主義史観と二次元美少女の結びつき。ザ・ネトウヨって感じ。
それで僕はやだなあと思ってたのに、中国人の女の子は満足げにこの歌がとても好きなんだと語ってくれた。いつも宿題をするときに聴いたりするんだそう。
なんか笑った。日本のネット・オタク文化って明らかに保守的な言論に包まれてて、僕たちはなんとなく中韓にヘイト的でなんとなく生活保護バッシングに代表される反リベラルな雰囲気のなかで日々スマホとパソコンをいじっているわけだ。僕はそれをいやだなあと思う。
でも中国人の彼女らはそういうふうには感じずに、ただただ初音ミクを「キャラ萌え」の形で消費して、『千本桜』の自由主義史観的な雰囲気をも単なる大正ロマンとしてかっこいいと思って楽しむ。この抗日ドラマと正反対の物語を喜んで消費する。

僕個人は日本のオタク文化と保守的な雰囲気が結びついたネット言論は嫌いだし危険だと思う。でもそういう土壌から生まれた作品やキャラクターが中国人の若者を魅了して、日本文化への接近を促している側面が確かにある。オタク文化は苦々しい部分もあるけど、やはり日中友好に絶対必要だ。

プログラミングと中国語

帰国を二か月後に控えて、ここ最近どうも中国語にやる気がでず、ネット上でHTMLやJavaの入門講座をみつけてはプログラミング基礎の勉強をしていた。

 

そんな日々が二週間ほど続き、いまやっと気づいた。

間違いだった。

 

いまは中国語をやるべきだ!!!!!!

なにしてんだ俺は・・・。

 

いまプログラミングの勉強なんかしたってしょうがない。

なぜなら、納得できないから。

入門できないから。

 

俺はなにかを理解するには、すべてを明らかにして、納得しながら進んでいかねば気が済まない。外国語の文法だろうとなんだろうと、ひとつ意味の不明な項目があると先へは進めない。「なんとなく、わかったようなわかってないような」状態にどうしても満足できない。学ぶなら、ある領域のすべてを征服してからまた次の領域、というふうに着々と領土を広げていくスタイルしかありえない。少しでも納得せずに通過した地点があっては、のちのち全体の有機的な結びつき、総体としての理解に悪影響を及ぼす。どんなに不効率で時間がかかろうと、学びの際には「納得」が全てに優先する。

 

だから何かを学び始める際には「入門書」がどうしても欲しい。「専門書」ではなく。

「専門書」は「知っていること」を基礎にして積み上げていく文章だ。そこでは説明不要と判断され省略された常識がいくつも基礎の下の見えない地下世界に埋められている。

たとえば「なぜプログラムを書かなければならないのか」という問いがそれだ。もしくは「プログラムとはなにか」「コンピュータとはなにか」という問いがそれだ。俺はこういう問いが問われないままに内容の説明が進んでいくことに耐えられない。ついていけなくて、一人はるか後方へ置いて行かれる。「おいちょっと待ってくれ、そもそもなぜコンピュータってものを使わなきゃいけないんだ?」と思う。俺が知りたいのはまさにその問われずにうち捨てられている常識部分なのだ。

 

残念なことに、いま俺がネット上で学んでいるプログラミング入門にそうした「入門」的要素は皆無だ。だからどうしても入っていけない。夢中になれない。いちばん知りたい、いちばん大事な問いが逸らされているように感じるから。いちばんラディカルで基礎的な部分がすっぽり抜けているから。

だから俺は北京でネット上の講座を探すのではなく、まず帰国して本屋でプログラミング入門の本を探すべきなのだ。こういう入門書はやっぱり紙の本がいい。

 

そしていまここですべきは中国語そして韓国語そしてロシア語の勉強だ!!

ここには中国人と韓国人とロシア人がいて、俺の門外漢としての入門的かつ根源的な問いに応じてくれるのだから!

今は外国語と読書だ!!!

 

『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』

久しぶりに今期のアニメを見た。ガンダム赤塚不二夫

 

『鉄血のオルフェンズ』あまり面白く思えない。

 

主人公たちのいかにも最近のアニメらしいホモソーシャルな美少年ぶりと、軍事というシリアスな世界観とがどうにも調和していないように感じられる。こういうのを東浩紀だったらセカイ系と言うのかもしれない。主人公やヒロインたち少年少女の意志や決断と、国家規模の政治や軍事が直接に結びつく展開にちょっとついて行けない。

もちろん「それを言ったらおしまい」なのはよくわかってる。ガンダムシリーズはみんな未熟な少年が大量破壊兵器を操縦して戦況を変えていく物語だ。アムロだってカミーユだってバナージだって一方では等身大の問題で思い悩みながら、一方では戦場で大人たちが束になっても敵わない縦横無尽の活躍をする。ガンダムはそういう話だ。

 

でもやっぱり今回の『鉄血のオルフェンズ』はどうも違和感が残る。というのも、この話あんまり大人が出てこない。宇宙世紀でいうブライトさんがいない、今のところ。少年が状況に巻き込まれて大人たちのなかで成長していくっていう構図は見えなくて、少年たちが大人の役も自分でやって、少年のまま状況を作っていく。今のところこのアニメには主人公たちにとっての「自分より偉い人」がいない。社会的地位の概念がない。いるのは無条件の信頼の宛先としての「仲間」(エンジニアのおやっさんもこっち)や、ロマンスの対象としての「姫」だけ。「父親」「上司」「先輩」が不在。

だからどこか「おままごと」に見えてしまう。本物の人間関係、社会がない。気の合う若い仲間どうしで起業して好きな仕事やってるって感じ。主人公なんかひたすら赤ん坊のように親友を盲信してその指示に従ってるだけに見える、今のところ。

 

ただ仲間という普遍性を追い求める主人公。それは非常にアニメ的であることは確かなんだけど、ガンダム的ではない気がする。

今回の主人公はキャラクターがすこしヒイロに似ている。そう思えばヒロインもリリーナ的存在に見えてくる。『ガンダムW』は美少年たちが色とりどりのガンダムを乗り回す、まるでラノベのようなガンダムだった。自然主義リアリズムの対極にある、「アニメ・まんが的リアリズム」のガンダムだった。僕はけっこう好きだ。『鉄血のオルフェンズ』は最初こそ『08小隊』のような泥臭い軍隊モノをやるのかと思われたが、もしかしたら美少年と美少女が「きみとぼく」の関係を軸にして世界を再構築していくアニメになるのかもしれない。

 

 

『おそまつさん』は最高だった。

東アジアの夜

日曜は授業がない。

昼過ぎに起きてシャワーを浴び、学食で遅い昼食を取った。

部屋に戻り、先日ダウンロードしたフリーゲームをプレイする。面白くなんかないけど、どうも読書や勉強をする気になれない。22歳にもなって暇つぶしに面白くもないゲームをしていることに愕然とする。もういい加減に遊ぶ側でなく、プログラミングする側になりたい。ベッドで長いことパソコンをいじっていたせいで首を痛めた。何もかもだるすぎる。

あっという間に夜になり、また学食に行って遅い夕食を取る。

 

図書館へ行ったがどうも落ち着かず、寮の2階のロビーでソファに座って読むともなく本を読んでいた。

韓国人の李くんが通りかかったので、その場で20時から2時間ほど韓国語を教えてもらう。ちょうど僕が韓国語の発音の本を持っていたので、ひたすら発音をみてもらう。彼は明るくひょうきんだが穏やかで、根暗の僕にとっても話しやすい。声がよく通るのが羨ましい。13年日本にいただけあって、一般的な韓国の若者とは雰囲気が少しちがう。発音を教えてもらいながら、タバコとネトゲと兵役の話をした。

李くんが去ったあと、中国人の王くんが日本語の添削を頼みに来た。日本文化の授業で『日本の乱闘系三国志ゲームによる三国時代脱構築と再建』という題の期末論文を書いたものの、そこだけ日本語で書いた要旨の部分に自信がないらしい。簡単に添削してあげてから論文を拝読した。「高度経済成長にともない日本のゲーム文化もまた他の分野と同じく大きな成長を遂げ、小説やテレビといった形式の媒体にはない双方向性のプレイアブル性によって歴史的題材の醍醐味を引き出すことに成功した……『真・三国無双』をはじめとする歴史を題材とした日本のゲームは、日本人の手により国内外の歴史をローカライズし……中国国内のゲームプレイヤーにも広く愛好され……」とっても面白かった。彼は日本語の会話はほぼできないが、けっこう日本のことをわかってると思う。それに彼が漢族ではなく満族だったことを始めて知った。彼の家は八旗の正白旗。

王くんは23時半ごろに部屋へ戻った。そこからロビーから寮10階のかつやさんの部屋へ行き、前と同じように家庭教師の要領で中国語を教える。彼は勉強などしたことがないと言うがかなりの真面目な勉強家だ。今日も表面的な知識ではなく文法をメインに教える。2時ごろまでかつやさんの部屋にいた。家庭教師というよりは僕の講義という感じで、ただただ僕がずっと喋っていた気がする。伝わってくれただろうか。

 

最近はフリーゲームで貴重な時間を台無しにするクソみたいな日が続いている。今日も夕方までそんな日だったが、終わってみると韓国人、中国人、日本人とそれぞれの言語を伝え合うというなかなか悪くない一日になった。終わりよければ全てよしというか、夜にあの3人とたくさん言葉をやり取りして内容の充実した会話ができたおかげで、明日以降の生活への活力が生まれてきた。明日も人と話そう。

何もない国慶節

10月1日から一週間に渡る休暇が、もう終わってしまった。

ロクなこと、何もしてない。

まあ一応、中国人とイタリア人の友達と車で世界遺産の清東陵に行ったし、それ以外の日も毎日読書はしていた。だけど、全体的に言って怠惰に過ごしすぎた…。すごく後悔している。中国語も韓国語も全然勉強しなかった。

 

たぶん一番の問題は、他人とのコミュニケーション不足だったと思う。

国慶節の間じゅう、外に出て人と会い、言葉をやり取りすることが少なかった。これではいけない。ずっと本を読んでいるだけだと、だんだん気持ちが落ちていくし、頭もなかなか冴えないから読書の効率だって上がらない。

 

やりたいことは無数にある。北京にいる間に読みたい本だってまだまだある。

時間は有限だ。この一週間の時間的リソースを浪費してしまったことは痛いが、なら今は今後3か月の留学生活が提供してくれる未来のリソースの使い方を考えよう。

家庭教師

6歳年上の日本人留学生に教えを請われ、中国語文法をすこしだけ教えた。
まだまだ勉強中の僕なんかに教える資格はないと思い恐縮したが、結果的にはやってよかったと思う。貴重な体験になった。

相手を机の前に座らせ、僕はベッドに腰掛けて横から口を出すという典型的な家庭教師のスタイルをとった。ちなみに場所は彼の部屋。向こうのベッドには彼のルームメイトのタイ人が寝ている。
雑談もそこそこに家庭教師を始める。僕は当然と思って「これは副詞です」「これが目的語ですね」というふうな言葉遣いでもってして文法講義を始めた。僕は大学二年のとき塾で中学生に英語を教えていたので、義務教育を終えた大人相手でしかも一対一の授業ならば、中国語の基礎文法など楽に理解させる自信があった。解説しながら軽口を叩く。大丈夫、中国語の文法なんて簡単ですよ。英語と同じようなもんですからね。

彼は少しの間黙って僕の話を聞いていたが、しばらくすると申し訳なさそうに「ごめんね、俺ほんとに勉強したことないから、小学生に教えるつもりでやってくれないか」と自嘲気味に笑った。僕がその言の意図を測りかねていると、彼はちょっとうつむいて「副詞ってなに?」と言った。なるほど、そういうことか。

結局その日は具体的な文法はほとんど教えずに終わった。
そのかわり英語にも日本語にも中国語にも通用する文法という概念の基礎部分を時間をかけて丁寧に伝えた。
彼は授業中に先生が使うSだとかVだとかOという用語をぜんぜん知らなくて、そのせいでかなり苦しんでいたらしい。
だからそのへんを全部教えた。適当に流さず、主語とは何か、何が主語になれるのか、主語は文のなかのどの位置に来るのか…基礎的な部分で必要と思われるルールを思いつくだけ教えた。主語、述語、目的語、名詞、動詞、形容詞、副詞…その日は用語の定義をひととおり教えるだけでかなり時間がかかった。
遠回りだが、彼の今後の学習(中国語だけでなく他の言語も)を考えるとこうするのが一番早いし実になるはずだ。

かなり遠回りな教え方をしているにも関わらず、彼は嫌にならずにちゃんとついてきてくれた。おかげで最後に語順について少し練習問題をやってもらったときには、かなり文型というものを意識してくれるようになっていた。
彼自身手応えを感じたらしく、教え方が上手いと僕のことを褒めてくれた。本当にそう思っているのか、半ばわかったようなわかってないような感じでとにかく感謝を述べていたのかはわからないが、少しでも達成感を持ってくれたなら僕も嬉しい。

家庭教師を引き受けてよかった。
ここ3年ほど大学の奴らとばっかり接してきて、多少頭が硬くなっていたかもしれない。そうだよな、学校の勉強なんてあんまり聞いてないのが普通だ。僕だってたとえば数学なんか全くわからない。いきなり微分とか積分とか当然のように言われたら困惑してしまうと思う。

バカの壁は誰にでもある。僕はたまたま塾講師をやる程度には英文法や中国語文法を知っていたが、知らないことは山ほどある。タレントやファッション、スポーツなんかの話題を飲み会で出されて、何も言えずに沈黙して女子に嘲笑されることは決して少なくない。
そんなとき居てほしいのは「そんなことも知らないの?」と言う人ではなく、「こんな大事なことを知らないなら教えてやる」と発想する人だ。
本当にその話題が好きな人、考えを持っている人ならば知らない人に対してゼロから語ってくれる。僕はこういう人が好きだし、こういう人になりたいと思う。

自分が当たり前と思っているラインを他人にも無意識に強いるのはやめよう。

理論や用語ってのはファミコンの裏ワザみたいなもの。教えてもらえばこりゃ便利、使いやすくて嬉しくて仕方ない。知らない人がいれば教えてあげればいい。