ごくつぶしぶろぐ!

Gokutsubushi's Blog

【映画】 聲の形 言葉にならない。泣きっぱなし

良すぎて感想が言葉にできない。
ここが良かったとか、こういうメッセージが伝わってきたとか、そういう具体的な指摘が、圧倒的な感動のせいで全くできない。

今日になって気付いた。
映画って本来こういうものなんだ。
劇中のワンシーンや個々の台詞を個別具体的に列挙して、ここがこう良かったね、とか、ここがこうダメだね、とか、そういう見方をするものでは本来ないのかもしれない。
面白いと思ってしまえばそれでいい。

僕は今日観た『聲の形』を面白いと思った。良い映画だと思った。それでいいのかもしれない。なぜ面白いと思ったのかなんて追究しなくていいのかも。

なんでこんな話をするのかというと。
実は今日は『君の名は。』を一緒に観た女友達と再度一緒に『聲の形 』を観てきたんだけど、両作ともに僕と友達の感想がまるで違った。印象的だった。

僕は『君の名は。』は全然面白くないと思ったが、今日の『 聲の形 』はとても良い映画だと思った。終始泣いていた。
だが友達はなんと『君の名は。』で感動し、『 聲の形 』をやや酷評した。

これは見事な好対照。
この意見の相違を目の当たりにして、今日僕は、ああ人の価値観ってマジで違うんだな、ということを改めて痛感した。
当たり前のことだけど、こういう当たり前の前提を人生の実践において何度も確認していくのには意味があると思う。

それで、どっちが良いとか悪いとかは別に決めなくていいのかも、とも思った。こと映画に関しては好みの問題だろう。
僕が『君の名は。』で感動しなかったのは、おそらく新海誠の前作までを追いかけていた文脈だとか、東浩紀などのオタク系文化の批評をよく読んでいた背景があったせいで、あの作品をイノセントに受け取ることができず、斜に構えていたからだろう。
そして今日の『 聲の形 』でいたく感動したのは、たぶん自分の母親が養護教諭であり、今も障害児教育に携わっており、そして手話通訳士だからだろう。耳が聞こえないなどの障害を持っている児童の境遇やその周辺に発生するいじめについて、僕はおそらく他の人より多少なりとも深い考えを持っている。

それぞれの人にそれぞれの価値観がある。もうそれでいいのかもしれない。
もちろん自分では自分の価値観が一番正しいと思ってしまっていると思う(アニメ的なアニメは日本の表象文化に寄与しないから良くないだとか、障害などの社会の問題を描くフィクションは社会を良くするからもっと増えるべきなどと考えている)けど、みんな自分の好みに忠実に面白いと思うものを面白いと言えばいいのかもしれない。