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ごくつぶしぶろぐ!

Gokutsubushi's Blog

プログラミングと中国語

帰国を二か月後に控えて、ここ最近どうも中国語にやる気がでず、ネット上でHTMLやJavaの入門講座をみつけてはプログラミング基礎の勉強をしていた。

 

そんな日々が二週間ほど続き、いまやっと気づいた。

間違いだった。

 

いまは中国語をやるべきだ!!!!!!

なにしてんだ俺は・・・。

 

いまプログラミングの勉強なんかしたってしょうがない。

なぜなら、納得できないから。

入門できないから。

 

俺はなにかを理解するには、すべてを明らかにして、納得しながら進んでいかねば気が済まない。外国語の文法だろうとなんだろうと、ひとつ意味の不明な項目があると先へは進めない。「なんとなく、わかったようなわかってないような」状態にどうしても満足できない。学ぶなら、ある領域のすべてを征服してからまた次の領域、というふうに着々と領土を広げていくスタイルしかありえない。少しでも納得せずに通過した地点があっては、のちのち全体の有機的な結びつき、総体としての理解に悪影響を及ぼす。どんなに不効率で時間がかかろうと、学びの際には「納得」が全てに優先する。

 

だから何かを学び始める際には「入門書」がどうしても欲しい。「専門書」ではなく。

「専門書」は「知っていること」を基礎にして積み上げていく文章だ。そこでは説明不要と判断され省略された常識がいくつも基礎の下の見えない地下世界に埋められている。

たとえば「なぜプログラムを書かなければならないのか」という問いがそれだ。もしくは「プログラムとはなにか」「コンピュータとはなにか」という問いがそれだ。俺はこういう問いが問われないままに内容の説明が進んでいくことに耐えられない。ついていけなくて、一人はるか後方へ置いて行かれる。「おいちょっと待ってくれ、そもそもなぜコンピュータってものを使わなきゃいけないんだ?」と思う。俺が知りたいのはまさにその問われずにうち捨てられている常識部分なのだ。

 

残念なことに、いま俺がネット上で学んでいるプログラミング入門にそうした「入門」的要素は皆無だ。だからどうしても入っていけない。夢中になれない。いちばん知りたい、いちばん大事な問いが逸らされているように感じるから。いちばんラディカルで基礎的な部分がすっぽり抜けているから。

だから俺は北京でネット上の講座を探すのではなく、まず帰国して本屋でプログラミング入門の本を探すべきなのだ。こういう入門書はやっぱり紙の本がいい。

 

そしていまここですべきは中国語そして韓国語そしてロシア語の勉強だ!!

ここには中国人と韓国人とロシア人がいて、俺の門外漢としての入門的かつ根源的な問いに応じてくれるのだから!

今は外国語と読書だ!!!