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Gokutsubushi's Blog

多言語飲み会

今日は久々に本当に楽しかった。

6時前にイタリア人のダニエル、その友人のイタリア人ルカ、モンゴル人バトゥ、中国人の世明と寮のロビーで落ち合い、そのまま近所の串屋へ。

ルカと日本語を喋り、ほかの3人と中国語を喋った。
ルカが本当に攻撃性のかけらもなく、むしろその穏やかさのために他人に攻撃されることのほうが多そうなイタリア人だったために、俺はかなり落ち着いて過ごすことができた。彼は日本語を話すし、世明もすこし日本語を話す。3人のコミュニケーションは、傷つくことのない、「優しい世界」だった。他人をイジったり、他人からイジられたり、そのことに恐々としたり、という俺がふだん参加しているコミュニケーションとはほど遠い。
もちろんバトゥとダニエルも攻撃性のない奴らだ。みな日本に興味を持っているから、日本の話題は誰も排除することのない、5人が共有できる話題となる。もちろん中国にも興味があるから、中国のこと、北京のことももう一つの話題になる。こうして排除の構造がない、温室のような場になる。
この5人はみな外国語を学び、海外経験を持っている。だから話題や話の展開のさせ方にも共通した部分が多く持てる。とにかく誰かを攻撃したり排除したりしないこと、それが我々の共有する作法だ。我々は自分の外国語が下手で奇異であることを自覚している。攻撃を受ける可能性のある、弱い存在だと知っている。だから、他人のことも攻撃しない。誰かを排除するコミュニケーションをしない。

21時前に席を立ち、所用のある世明と別れてビリヤード場へ。4人で1時間だけ玉を打ち、終わったあとコンビニでアイスを買い食いして、ダニエルとルカは人民大学の寮へ戻るバス停へ向かい、俺とバトゥは大学の寮へ戻った。

ほんとうに楽しかった。
無償の悪意をふりまいてこちらを攻撃してくるもの、こちらの欠点を執拗に話のタネにしようとするもの、そういう人間は一人もいない。
こんな無菌室のような「優しい世界」で過ごして満足していたってしかたないのはわかっている。傷つかないコミュニケーションをするために留学しているわけではない。だけど楽しかった。また飲みたい。

ただ単に、攻撃されない飲み会が精神的に落ち着けた、というだけじゃない。
それぞれ違うバックボーンを持ちながらともに外国語を学ぶ5人の飲み会は、多文化で多言語で、知的にも充実していた。卓上で中国語、イタリア語、日本語、英語、ロシア語が飛び交い、しかも理解できない外国語で会話がなされている不快感はまるでなかった。みな自然に、必要に駆られてその言語を喋っていた。言語を使う目的は、相手に意味を伝達することだ。我々は基本的に中国語で会話し、ルカは俺に対し日本語を使い、世明も日本語の会話に参加し、ルカがダニエルに何かを伝えるときはイタリア語を使い、世明が中国の食べ物や概念を他の4人に説明するときは英語を使い、世明はときにロシア語の単語でイタリア人2人に固有名詞を伝えた。コンビニでバトゥがモンゴル人の友人に出くわしたときは、しばし彼らのモンゴル語の立ち話に耳を傾けた。

会話を重ねれば重ねるほど、新しい言語を征服したいという思いが湧いてきた。イタリア語、ロシア語。英語や韓国語もいい。やはり中国語に割く時間も減らせない。
新しい言語に挑戦すれば、もちろん挫折するだろう。それでもいい。その国の言葉を一単語でも知っているということが、知り合った外国人にとっても、自分の精神世界にとっても、大きな意味を持つ。