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Gokutsubushi's Blog

寧波

寧波博物館を見てきた。

寧波の歴史は日中交易の歴史。寧波が多くの遣唐使を受け入れ、また多くの僧侶や商人がこの地から日本へ船出したこと自体はわかっていたが、たとえば雪舟も寧波に来て水墨画を学んでいたなんてことは全く知らなかった。

寧波の歴史。

古くは7000年前の河姆渡文化。寧波市内からバスで3時間足らずで河姆渡遺跡へ行ける。明日行こうかとも思ったが、さすがに往復6時間は気が重い。
唐代には遣唐使が多く港を利用。「海のシルクロード」の重要拠点。
宋代は日宋貿易の拠点。
元代には日本侵攻の基地。
明代には海禁と倭寇の対策に苦心しながら日本と勘合貿易
その後も鎖国中の長崎と交易。

寧波の歴史は日本との関係性の歴史。
近代にはアヘン戦争、アロー戦争で戦場となり、のち日本軍が入ってくる。


これは個人的な思いつきだけど、中国がこれほど70年以上前の日本の侵攻について語ることを頑なに続けるのは、日本との関係性の深さの裏返しという側面があるように思われる。
個人には罪はないが、歴史的主体性の獲得というテーマを考えたとき、日本と中国の二国間関係というスケールでその間の恩讐を考えてみることは可能だ。中国は近代までずっと世界の中心であり、日本は辺境だった。中国が漢字、律令、仏教ほかの文物を日本へ伝え、日本はそれを生徒として吸収する、という構図が東アジアの長い間の秩序だった。
中国は日本にのみ侵攻されたわけではないし、日本だけが帝国主義的なふるまいをしたわけでもない。日本が大陸に出ていく前から中国は列強に半植民地化されていた。なのになぜ今に至るまで、「抗英」や「抗独」でなく「抗日」のスローガンだけが過度に強調され続けているのだろう。

たぶん、日本にやられた、ということがたまらなく屈辱的だったのだろう。
イギリスやフランス、ドイツはいきなり遠方からやってきて、中国とはまるで相容れない西洋の価値観でもって国土を分割し始めた。
それに対し日本とは1000年来の関係がある。赤の他人ではない。互いに見知った仲だし、なにより価値観がほぼ共有されている。そしてその根底を支える漢字文化、儒教、仏教などの要素はすべてかつて中国が日本へ伝えたものだ。あえてナショナリズムに支配された二国間関係で見れば、中国は日本に文物を与え続け、両国はコミュニケーションを取り続けたにもかかわらず、近代以降になると日本は列強に加わり、存亡の危機にある中国の分割へ参加した、という見方もできる。そう考えるととても悲しい。地球の反対側から来た白人に攻撃されるより、近くにずっと住んでいる対話可能な知人に攻撃されるほうがよほど衝撃的だ。
そういう意味で、中国や韓国の強烈な抗日意識は、親しさの裏返しだと個人的に思っている。好きの反対は無関心ってやつで、近所に住んでいるからこそ、良かれ悪しかれ感情的になる。

日中の歴史は基本的に日本が大陸の文物を取り入れる歴史だ。それがこのわずか100年ほどで急速に忘れられてしまっているような気がしてすこし悲しい。中国はとても近くて親しいものだし、我々の言葉や文化も中国の要素をたくさんもっているということを今一度思い出すときだと思う。