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Gokutsubushi's Blog

南京から揚州へ

終戦70周年の8月15日は、南京で迎えることになった。

南京は平和だった。


以下、日記から転載。

「南京は平和だ。
着いた途端ににわかに抗日のにおいが立ち昇るのでは、とどこかで思っていた自分が馬鹿らしい。百姓の暮らしぶりは北京となにも変わらない。」
(※百姓は日本では差別語かもしれないけど、中国語では庶民の意味で、農民だけのことを指すわけではない)


市内中心部の駅地下街では、ユニクロと寿司屋が並んで店を出していた。駅の入り口でワンピースのゾロのTシャツを着た青年とすれ違った。奥の無印良品は繁盛していて、くまモンのTシャツを着た女の子が商品を物色していた。

泊まった宿はなかなか落ち着かない四人部屋だったが、同室の奴らとすぐに仲良くなった。同い年の南方人と、日本のアニメやゲームについて遅くまで歓談した。奴とは連絡先を交換した。いま神戸で働いていて、日本語の話せる女の子もいた。


一方では15日に安倍談話が発表され、現在中国のメディアには、日本バッシング的な傾向が強く見られるようになっている。検索サイトに行くと「ネットの反応」がどうたら、といったこれ以上ないほど不毛で無価値な見出しで安倍政権を非難するニュースが嫌でも目につく。そしてこれは日本のYahoo!ニュースや産経ニュースでも同じことが起きているように見える。


正直、勘弁してくれと思う。
混乱している。
俺が実際に出会い会話する人々の態度と、ネットの言論とのあいだに大きな断絶がある。

中国だろうと日本だろうと、まともな人、ふつうの人は日常を生きている。仕事をし、学校へ行き、家族と共同生活を営み、他人と関わり合いながら生きている。おれが中国でいま出会っているのは、そういう人たちだ。外に出て、人と会ってやり取りをしている人たち。そこには常識があり、最低限の作法のようなものがある。共生の作法が生まれる。自分のことを考え、他人のことを考え、バランスを取って生活していくようになる。

残念ながら「ネットの反応」をかき集めて束にしても、それはなにかの代表的な知見や常識感覚にはならないと思う。ネットに張り付いてコメントをしている人も、それをSNSから恣意的に拾ってきて記事にする人も、とてもじゃないがまともな生活者ではないから。どこの国でも、ネット上の顔の見えないやり取りに多大なエネルギーを割いている人たちは一般的な生活者ではないように思う。

中々まとまらない。混乱。

つまりこういうことだ。
俺は遠く離れたところから、勝手に南京が反日的な雰囲気に包まれていると思い込んでいた。でも実際にその地に住んでいる人たちっていうのは、ふつう、毎日働いて、学校へ行って、人と会って暮らしているわけで、それが生活の主軸だから、ナショナリズムとかの大きな物語に夢中になったりはしない。むしろ日本のキャラクターやブランドが消費財として共有されている。
ほとんどのまともな生活者は、だから、ネット上のニュースやなんかにカーっとなったりはしない。みんながちゃんと自分の日常、仕事とか家族とか、それに専心している社会は大丈夫。そこから他人との付き合い方を経験的、実践的に体得し続けていくから。
やばいのは、日常を主軸にしていない、ネット上の出来事にカーっとなれてしまう奴ら。Yahoo!ニュースのコメント欄、ニコニコニュースのツイッターによくいる、近づいてはならない感じのするあの人たちだ。そういう人たちのコメントやニュースがネット上で蔓延すると、社会にやばい雰囲気が広がる。


いろいろ考えすぎて書ききれない。
とにかく南京に来てよかった。