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Gokutsubushi's Blog

コミュニケーションという試練

リア充」になりたい。人と会話をして刺激を受けて成長したい。

 

すでに2時を回ったが、寮のロビーにはフリーWiFiを求める留学生たちが5,6人陣取っている。僕もそのひとり。見たところアメリカ人らしき雰囲気の学生が多い。たぶん夏休みに入ってアメリカの提携校から団体で短期留学にきているんだろう、最近学校でアメリカ人ばかり目に入る。彼らは人種がバラバラなくせにどこか統一された雰囲気をまとっていて、わりと人目でそれとわかる。少なくとも欧州やアジアの学生よりはよっぽどわかりやすい。

2軒となりのソファーにPCで『君に届け』を読んでいる女子がいる。東アジア系の顔に韓国風の化粧と長い黒髪で見た目だけではとても欧米人には見えないけど、雰囲気はアメリカ人っぽい気がするし、なにより読んでるマンガが(遠くてよく見えないけど)横文字に翻訳されている。それが英語でないにしても欧米人には違いない。大方のところ母語が英語で中国語を学びに短期で北京に留学しにきた在米華人というところだろう。

彼女がずっと『君に届け』を読んでいる。

 

話しかけたくて仕方がない。

いや別に下心があるわけじゃない。黒髪ロングといっても正直にいって可愛いとか綺麗とかいう部類に入るわけではないし、たとえ美人だろうと村上春樹の主人公じゃないんだから女とのコミュニケーション=寝ることだと思ったりはしない。そうじゃない。ただ話しかけたいだけなんだ、本当に。日本のマンガに興味がある外国人に日本人が外国で出会ったんだから、せっかくならなにかしらの接触をもちたい。べつに人間関係を構築してどうにかなりたいわけではなくて、ただただ会話をもちたい。

でも、どうしたらいい?どう話しかけたらいい?わからない。

きっかけがつかめない。いや違う、きっかけはそれこそ今この「日本人の前で日本のマンガを読んでいる」って状況で充分用意されてる。あとはこっちがどう踏み込むかの問題。それが、あと一歩がどうにも踏み出せない。どの方向にどのくらいの勢いで踏み込めばいいのか、一歩目を踏んだあとはどう連携していけばいいのか、もうわからない。どうしたらいい?

わからない、という態度を表明してることがたぶん問題の本質なんだろう。「リア充」はいちいちコミュニケーションで出すカードを吟味して手札を万全にしてから会話に臨むわけじゃないと思う(そういう努力家もいるかもわからないけど)。結局のところ会話は出たとこ勝負だ。こうやって話す前にうじうじ悩んで時間と機会を浪費していくのがいちばんの問題、「非リア充」たる由縁にちがいない。コミュニケーションを始める前から逡巡して自己完結するから、結局ネット上での匿名のコミュニケーションしかできなかったり、他者が存在しない自分の趣味の世界に没頭することしかできないってことにもなる。まず話しかけるしかないんだ。話はそれからだ。

 

こんなことを考えているうちに彼女は部屋に戻ったらしい。

 

僕はなんでこうなんだろう。

実はさっきも隣に座った中東系の男と二言三言会話したんだけどこっちが全然喋れなくてダメダメだった。彼のほうは僕の読んでる本を見て日本人?とか聞いてくれたりして、歩み寄ってきてくれてたのに。うまく会話できないからますます強く出れなくなって会話のぎこちなさに拍車がかかる。しばらくして彼は恋人らしき女性と合流、ロビーから去っていった。僕はうまく会話ができなかったことを気まずく思って黙っていたのに、彼は去り際に僕の肩を叩いて声をかけてくれた。すごいと思った。ふつう日本人同士ならあんなふうに微妙な空気になったあとは何も言わず立ち去るのが相場なのに。

 

会話を始める前から逡巡してる。

会話がうまくいかないからって気にして萎縮してる。

 

だめだだめだ、克服しよう。今ならできるはず。せっかく外国に来て非日常が日常になってるんだから、日本でできなかったことをやろう。実験場だ。今出来なきゃ絶対日本でもできない。

根暗は僕の大事な一部分だから完全に消し去ろうなんて思わない。こうしてつまらないこと(他の人からみてつまらない些事に思えること)に悩んでうじうじ考えて文章をくどくどと書くのも自分の大事な本性だ。でも、生まれるはずだったコミュニケーションを逃すのはもうイヤだ。勇気を出して踏み出したことで生まれた人間関係や新しい体験がいっぱいある。こういうのをこれからも増やしていくんだ。根暗なままでもいい、自分からコミュニケーションが取れるようになりたい。