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Gokutsubushi's Blog

1人がいいんだ

疲れた。

 

大学では日本人や中国人、留学生たちとの人間関係がいよいよ煩雑になってきた。べつになにかトラブルが起きたり、関係が悪いふうに変化したというわけじゃない。ただ単にこちらに来てから時間が経って、知り合った人々との間で当たり前に癒着が進行している。日本にいた時と同じだ。ずっと同じメンツと一緒にいると、だんだん疲れてくる。周りの誰かのせいじゃない。僕の押さえ込んでいた根暗な部分がだんだん外に出てきて、当たり前の人間関係を維持する気力を削ぎ始めているのだ。

 

この前はクラスの女子2人と一緒に2泊3日の旅行に行ってきたのだけれど、これがいやというほど疲れた。2人とも可愛いしとてもいい子たちなのに、一緒にいる時間が長くなってくると自然に悪いところばかり見えてくる。そうなってくるともう会話が苦痛で仕方ない。最終的には僕が1人で前を歩き、彼女たちは2人で話しながら後ろを歩くという隊列になった。彼女達は悪くない。僕の根暗が原因だ。

本当に、本当に申し訳ないけれど、最終日に少しだけ自由行動させてもらった。僕は自分の見たいところに勝手に行き、彼女達2人は別の場所へ。彼女達はとても気まずそうで、1人は気を悪くしたのかと謝ってきた。そうじゃない、全て僕の責任だ。君達はなにも悪くない。そして困ったことに、1人で観光する時間は最高だった。それまで2人の女の子たちを連れて歩いた旅程をもう一度1人でやり直したいと思うほどに、1人旅は甘美だった。異国の異郷で、誰も見ていない、誰も付いてこない時間。それまでの3人旅の間に失った酸素を取り戻したという気さえして、気分が晴れた。重い荷を担いだまま、どこまででも歩けそうだった。

 

僕のような本質的に根暗な人間にとって、世間や他人と関わりながら生きるのは本当に難しい。本当に生半可なことではない。

でもやはり世間には関わらなければならない。それはわかってる。今考えなければならないことは、その程度だと思う。なんとか自分自身の根暗と折り合いをつけて、可能な範囲で世間と関わりながら仕事をして生きていくことはできないだろうか。必要最低限のレベルを見極めるのだ。

やはり目指すイメージは漫画『孤高の人』の森文太郎に近くなる。根暗な自分を残したまま、自分の内的世界を人生の中心に据えつつも世間と完全には断絶しない。そして自分と波長の合うパートナーを見つけて、そことの繋がりを基礎に他人と関わっていく。大衆に迎合したり、無理に外に出ていったりすることはない。可能な範囲で世間とうまくやっていきながら生きる。

 

今のところ僕の内的世界の中心は哲学や文学、そこから派生した枝葉末節が占めている。残念ながらそれらを共有できる仲間はここにはあまりいない。日本にもほとんどいなかったのだから、この国でそういう価値観を育てている人に出会うのはかなり至難だろう。

だったら、今は煩雑な人間関係を切っていくのも大事かもしれない。このままではこちらの身が持たない。文太郎のように『俺は1人がいいんだ――』と飛び出せば、また彼と同じように苦しい時間を過ごすことになるのはわかっている。だけど一生このままなんていうのは本当にごめんだ。今回の旅行の最終日の自由行動を決して忘れない。高校の授業があまりに耐えがたくて抜け出したときもたしかこんなふうに思っていた。こんな辛い思いは二度とするものか、他の連中と同じように行動しなくても1人で生きていけるようになってやる、と。

 

1人がいいんだ。そのためなら、他人とも関わることができる。