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Gokutsubushi's Blog

携帯返品へ

生きてます。

 

3週間が経ち、残念ながら北京に慣れてきた。慣れるということは飽きるということであり、僕のような生来怠惰な人間にしてみれば作業効率が落ちるということでもある。授業は特に緊張感もなくそつなくこなせるし、そうなってしまうと宿題も授業中にやってしまえる。結果、授業に出ることで得られる成果の量と質が下がってゆく。緊張感が薄いから記憶に刻まれない。これでは日本にいるのと変わらない。

授業だけじゃなく人間関係に関しても同じことが言える。北京到着当初は「異国へ乗り込んできた」という一種の興奮状態にあったので、見知らぬ他人とのコミュニケーションを志向する向きがあった。リスクを恐れず果敢に話しかける姿勢があった。実際、それで留学生のやつらとは仲良くなれた。だが今は大学がホームになってしまったために、アウェイ特有の緊張感が立ち消えてしまった感じが否めない。部屋や寮、教室に慣れてしまった。こうなると他人に話しかけるより既知の間柄にある友人たちと時間を過ごすほうが簡便に済む。結果、保守的になる。

このままじゃダメだ。これじゃ日本にいたときと同じだ。

 

やはり、中国人との交流の機会を増やしていきたい。

留学生と交流して、外人の喋る中国語などいくら聞いていても上達しない。語彙と表現の豊富さ、会話のスピードが中国人と違いすぎる。むしろ留学生のやつらとはそろそろ英語を話していきたい。大学で割とよくつるんでいるロシア人とイタリア人は英語がうまいし、イギリス人だっている。

それはそれとして、必要なのは中国人だ。特に日本語の話せない中国人とたくさん絡みたい。すでに日本語科の中国人学生たちとは顔見知りだしよく話すけれど、やつら日本語がうますぎて話にならない。話になりすぎて話にならない。これでは僕がわざわざ下手な中国語を使うインセンティヴが生まれない。恥ずかしい。「已むを得ず中国語を話す」状況を作りたくて北京くんだりまでわざわざやって来たんだ。中国人と中国語を使ってコミュニケーションしなきゃ始まらない。

 

そういえばゴミみたいな携帯を返品しに行きましたが、取り合ってくれませんでした。わりと仲の良い日本語科で1コ下の中国人男子学生を連れて行ったのですが、彼曰く僕が携帯を買った中関村という電気街がすでにアウトだったよう。彼自身も怖くて行きたくないとしきりに言っていた。

買った店に到着し、携帯と保証書を見せ、携帯がいかに壊れているか説明するも「安いのだから仕方ない」の一点張り。保証書の文言によれば故障品は返品できるはずだと主張するも「これは故障ではない、故障とは電源が点かなくなる状態のことだ」。日本語科の彼も懸命に抗議してくれたにも関わらず、店員に一笑に付される形で交渉は失敗に終わってしまった。

 

この携帯の件に関しては、どう考えても僕が悪い。悪い、というか弱い。

安かろう悪かろうで買ったのは事実だ。北京大学の友達に連れられて、よくわからないままになんとなく流されて購入してしまった。ネットで調べることすらもせず(実は同じ機種が450元でなく199元でネットで売っていたことにあとで気づいた)。携帯を買いに行ったころにはまだ中国人の友人がいなかったということもあるが、それにしても消費者として弱すぎた。買いに行く前に自分でできることはいくらでもあったはずだ。

保証書の内容が履行されなかったことは非常に遺憾ではある、それも否めない。だが自分の責任で日本を出て外国に来ておいて、よく知らないままタチの悪い電気街で買い物をしてしまったのはどう考えても自分が馬鹿だった。友人を盲信し、依存していた。迂闊だった。べつに自己責任論を信奉してるわけじゃない。ただ不注意だった。もっと強かな道を選択することは可能だった。「保証書に書いてあるから返品できるだろう」なんて以前の日記に書いたが、横着もいいところだった。何をどのように保証してくれるのか購入時に全く確認していなかったにも関わらず、いい気になっていた。

 

交渉に失敗して帰宅したあと、一緒に行ってくれた彼からメッセージが届いていることに気がついた。僕は中国語で送り、彼は日本語で返すというのが我々の通式。「ゴミくん」というのは僕がつけたこの携帯の名前”垃圾君”の日本語訳。

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彼にこんなふうに言わせてしまって悲しい。ゴミを買ったのは僕の責任であり、また市場にレベルの低い商品が流通していて顧客との信頼関係を築けないのは階級文化や産業構造の問題であって、彼が中国人というナショナルアイデンティティに依拠して申し訳なく思うべきことでは決してない。

中国にも良い家電屋は沢山あるし、ネットで安く買うこともできる。今回の件は僕が選択を誤っただけであって、民族の問題にまで敷衍するのは違うと思う。そういうふうに「俺は中国で騙された、中国人は悪いやつらだ」と悪しき一般化をする論調には、じっさい日本のネットで嫌というほど出会ってきて、もううんざりしている。

僕が弱いせいで彼に迷惑をかけた。僕はもっと強くなりたい。

 

さておき、彼はまだ二年生だが、日本語がとても上手だ。単語の選択も適切だし、文章の組み立てがうまいし、開口一番に「今日はお疲れ様でした」なんて切り出すあたりも日本文化をよく了解している。

僕も彼のように巧みに外国語を操れるようになりたい。そしてもっと強くなって、不必要な加害ー被害の関係から脱却したい。強くならなければ優しくなることもできない。