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ごくつぶしぶろぐ!

Gokutsubushi's Blog

リア充な留学生たち

こんばんは。
『愛奇芸』でSHIROBAKOをみています。違法アップロードじゃないですよ。ちゃんと中国の動画サイトが日本から版権を買って、無料で公式配信しているやつです。公式なのでアップロードも早いし字幕の質も画質もいいし、なにより日本のアニメ業界に金が入る。いい時代になった。

今日は朝病院に行って日本で受けた検査結果を提出してから、初授業に臨んできました。いくつかあるクラスのなかで最高レベルのクラスらしいが、予想を超えるほどではなかった。大学で劣等生だった僕でさえこう思うのだから、やはりうちの中国語科は世界トップクラスなんだろうと思う。
とは言え、授業に歯ごたえが全くないわけではない。いい感じのレベルだ。授業ではとにかく生徒が発言する。先生と生徒が対等のように会話する。日本人らしく最初は萎縮していたが、最前列に座ったこともあるし、慣れてからは気後れせず僕も野次を飛ばした。たのしい。

午前の授業が終わり、クラスの奴らと飯を食いに行った。僕(日本人)、モンゴル人、ロシア人、イタリア人、イギリス人、韓国人の6人で大学を出てすぐのレストランで昼食をとる。公用語は中国語。僕を誘ってくれた5人はみな新入生ではなく、すでにある程度ここで学んでいる先輩たち。
話題がない。というか切り出せない。どう会話を展開すれば自然に人間関係を構築できるのか、わからない。みな楽しそうに冗談を言い合い、恋人の話を振ってイジり合っている。僕は日本人らしく追従笑いをするだけ。つらい。こうやって考えている時点でダメだってことはよくわかってる。
やっぱり根暗はなかなか隠せない。人に話しかけることはできるようになったけど、会話を続けるのがどうしようもなく辛いんだ。笑いのツボがわからない。ふだん気の知れた友人たちとアニメや時事の話ばかりしているから、こうして文化や趣味のちがうメンツと合流したときにうまく対応できない。
こういうとき、すぐに溶け込んでしまえる日本人も沢山いる。なんとなく場に馴染み、なんとなく違和感のないコミュニケーションをしてしまえる人たち。そういう奴らを「リア充」と呼ぶんだと思う。僕はそういう奴らをすごいと思うし、心からそうなりたいと思う。
飯を食い終わり、午後の授業に出た。同じクラスの奴らと初日から飯を食いに行けたことはとっても嬉しいけど、彼らとは所属グループが違うだろうな、と思ってしまった。根暗は隠せない。

授業終わりに寮のロビーで見知らぬ日本人二人を目撃。話しかける。警戒されたものの、連絡先を交換し、一緒にロビーに併設されたバーで勉強した。6時半まで雑談しながら勉強し、三人で近所の中華料理店へ。この二人は初日の二人と正反対のギャルで、最初こそ話が弾まなかったものの、酒が入ると一気に距離が詰まった。やっぱり日本のギャルはいいと思った。

彼女たちと別れて部屋に戻ると、ルームメイトとその荷物はもう跡形もなかった。部屋を換えるといっていたから、新しい部屋に持って行ったのだろう。
イラク人の彼となにか衝突があったわけじゃない。ただ彼が換えるよと言い、僕が了承した。たぶん僕のことが気に入らなかったというよりは、女を連れ込める一人部屋に移ったのだろう。もしくは見知った友達と同居するか、ともかく僕の知ったことではない。日本人同士なら気を遣って気まずくなりそうなところだが、彼は全く気にしない様子だったのでそういうものなんだろう。
ノルウェイの森』の下巻はまだ読み進めていない。「僕」のルームメイトの「突撃隊」よりずっと早く、僕のルームメイトは部屋を去ってしまった。

しばらくすればまた誰かが入居してくるだろうと思うが、一人になってしまったことは残念だった。彼との生活に慣れ始めていたし、彼のWi-Fiのかわりに寮の不便なWi-Fiを使わなきゃいけないし、なにより一人暮らしは僕を堕落させる。
怠惰な学生にとって、プライベートな空間に誰か他者がいるというのは極めて重要な意味を持っている。寝たり、ボーッとしたり、マスをかいたりすることの敷居が高くなるのだ。常に他者の眼が意識され、背筋が伸び、部屋の汚れが目につく。人が見ているから、なにか活動しよう、今のこの時間になにか意味をもたせようというプレッシャーが生まれる。実際この三日間の僕は東京のそれとは比べものにならないほど濃い時間を過ごしていた。

一人には広すぎる二人部屋に途方に暮れてドアを開けていると、廊下を昼間の韓国人が通った。彼とは昼に一言も話をしていない。僕が気づくより前に、彼がこちらに「こんばんは」と言ってきた。日本語だった。咄嗟に「こんばんは、你好」と意味のわからない返事をすると、彼はうなずいて自分の部屋に戻ってしまった。
ちょろい話だが、救われた気分だった。どんなに簡素であれ、好意を示してもらって悪い気はしない。彼のその一言だけで、一気に気分が晴れた。
余談だがモンゴル人も日本語をすこし話していた。イギリス人が付き合っている北京の女の子は、中国語より日本語の方がうまいんじゃないかというほどの腕前だった。イタリア人は京都に行ったことがあるそうだ。
こういう自国賛美の文脈は最近の日本のメディアみたいで嫌いなのだけれど、日本の存在感の強さをいたく実感せずにはいられなかった。同時に、見知らぬ日本人に対してこうしてアプローチしてくる留学生たちのコミュ力と引き出しの多さに衝撃を受けた。彼らは「リア充」なのだ。取っ掛かりを見つけ、そこから会話を創出し、人間関係を構築する。ぼくもそうなりたい。

そういや病院でも日本人の女の子を見たので話しかけて連絡先を交換し、こんど飯を食いに行くことになった。話しかける勇気だけはなんとか出せたのだから、根暗だけど諦めず拗ねずに人間関係を作る努力をしていきたい。いくら根暗だって人は一人では生きていけないのだから、他者と関わり世間と関わらなければならない。

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これは9日の朝に部屋の窓から撮った景色です。画面外下の方では誰かが熱心にバスケをしています。北京では風が吹けば空気は晴れます。日によっては日本並みの綺麗な青空になる日もありますよ。たいていは曇ってますがね。