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ごくつぶしぶろぐ!

Gokutsubushi's Blog

劇場版『PSYCHO-PASS サイコパス』めちゃくちゃ面白かった!!


アニメ「PSYCHO-PASS サイコパス」


ほんと面白かった!サイコパスは2期がちょっと物足りなかったからそこまで期待してなかったんだけど、いい意味で裏切られました!
作画も音楽も演出も素晴らしいのでもうそれだけで作品に引き込まれていったし、作品全体として登場人物たちの魅力が充分に発揮されていたと思います。サイコパスのテーマのひとつは「システムに対抗する人の意志」だと勝手に思っているので、キャラクターひとりひとりが強い意志をもって行動する本作はまさにそういうテーマを体現しているなあと。

単純にアクション目当てで見ても楽しめるし、SFとしてもすごく完成度が高い。政治性の高いソフトな面でも、軍事関係のハードな面でも。市街地でのゲリラ戦のシーンはバックに重厚なクラシック風の音楽が流れていて、思わず銀英伝を思い出しました。

てかなんなの宜野座のあの髪型は…。すごくいい。宜野座は妥協を覚えた、というより1期からこっちどんどんアウトローになっている。このシリーズ中で茜と宜野座は回を追うごとに成長、というか成熟している。青くさく真面目で融通の効かない未成年の思考から、あえて規則から逸脱する柔軟さを備えた成年の思考へ。畢竟、宜野座は親父に似てきた。
結局のところ、狡噛も茜も宜野座もシステムの一部としての在り方から逸脱に向かっている。劇中の台詞を引用すれば、職務の鋳型から逸脱しようとしている。狡噛は本当にシステムから逸脱し、茜と宜野座は狡噛と接触しつつも職務を放棄してそれを黙認した。みなシビュラシステムから逸脱しているが、にも関わらずシビュラの統治という現状を急進的に改革しようともしない。現状に不満を持ちながらも完全否定せず、漸進的な現状打破を試みる。保守の作法。

あと興味深かったのが、茜が槇島の人物像をまるで理解できてなかったってところですね。茜に「狡噛さんと槇島の違いは人を支配しようとしたか否か」と言われて、狡噛は苦笑する。「そんなことだからお前は槇島にしてやられるんだ」と。
これは狡噛の言うとおりで、槇島は人を支配したいなんて全く思ってなかった。むしろその逆で、シビュラが疎外している人の魂の輝きをもっと見たい、と思ったからシビュラに楯突いたわけで。彼はBig Brotherの管理社会を打倒したかった、どちらかと言えば人民の解放者的な役割を演じようとしていた。だから茜の指摘はとんちんかんです。
この点からも、茜は「男の世界」についに入っていけなかったのかもしれない。シリーズ中のラストバトルで大立ち回りをして敵を倒すのはいつも男、茜は敵と対話して政治的な決定に関与するだけの存在。いつも狡噛たちの闘いの蚊帳の外です。
逆に、サイコパスの世界の核心に迫っているのは女だけであるというのも象徴的ではある。シビュラシステムの正体を知るのは茜と霜月だけ、しかも局長も女。彼女たちは男の価値観を理解できず、男たちの闘いから排除されているが、あるいは馬鹿な男たちの幼稚な争いを冷めた目で見て呆れているのかもしれない。結局生命を産み、世界を回しているのは女だと。男の論理など取るに足らないと。