ごくつぶしぶろぐ!

Gokutsubushi's Blog

日本のお笑いと日本語。

日本の文化はほとんど好きですが、特にお笑い(漫才とコント)が好きです。時間が許すなら一日中漫才の動画だけを見て過ごしたい。金があればすべての芸人の単独ライブを見に行きたい。もちろんネタの好き嫌いはありますが何よりプロの漫才やコントの持つ独特の雰囲気自体が好きなので、爆笑がなくてもネタを見られるだけで幸せなのです。

 

当たり前だけどお笑いの基本構造は「ボケ」と「ツッコミ」です。とぼけ役の「ボケ」が会話の中に観客の笑いをさそうような冗談・明らかな間違いを放り込み、常識人の「ツッコミ」がその可笑しさをテンポ良く指摘して、ボケを際立たせる。色々な芸風があるのでこんな単純な図式では説明できませんが、基本的には大きな枠組みとしてこういうスタイルがある。

漫才やコントだけでなく、日本人が漫画や日常のコミュニケーションの中で笑いを生み出そうと画策すれば多くの場合このロールプレイをすることになります。「ボケて」→「ツッコむ」という脊髄反射は、関西人でなくとも日本人なら誰もが無意識に会話の中に期待してしまう笑いのパターンではないでしょうか。

 

僕はこの「ボケ」と「ツッコミ」で構成される日本のお笑いが大好きなんですが、この文化だけは海外に輸出不可能だろうと長い間諦めていました。

それが最近になって部分的に、たとえば中国のネットユーザーにアンジャッシュのネタが受け入れられている(パクられるほど)のを見て、こんな純日本的な部分までも海外に輸出可能なのかと目からうろこが落ちる思いでいます。

 

これは僕のなかに確信としてあるのですが、欧米人には日本のお笑いは浸透しないと思います。その理由は①笑いを誘う細かい言葉のニュアンスを伝えるにあたって、日本語と横文字の相性は最悪だから。②そもそも欧米とアジアの伝統的なコメディ/ユーモアのセンスがズレているから。

 

今度気が向いたら書きますが、日本語の文章が持つ微妙な味を完全に横文字へと移植することは不可能だと思います。ドラマでも漫才でもアニメでも、僕たちが摂取している日本語の言葉とそれが翻訳された西洋系言語との間には溝があるように思えるのです。その溝は完全には埋めることができず、どこかを偽の言葉でごまかして、なんとか意味を伝えたような気分になっている。

それに対して僕は日本語を中国語に訳すとき、自分がまさに伝えようとしている言葉をそのまま表現しているという手ごたえを感じるのです。それは漢字文化圏の共有する息づかいだとか、アジア人が古来より保守してきた価値観・精神性に裏づけされた親和性であると僕は思っています。

 

西洋人のネットユーザーたちの多くが日本のファンタジー・SFアニメを嗜好するのに対して、僕の印象では中国人ユーザーたちはそれらの有名ジャンルに加えギャグ系のアニメを非常に好みます。もちろん日本語を解さない西洋人で日本のギャグアニメを好んで視聴する人たちも沢山いるのですが、彼らは日本語が本当に伝えようとしているボケやツッコミの細かい意味をあまり理解できていないように思うんです。英語のサブを見ていると、どうも限界があるように感じる。逆に中国語はボケやツッコミのエッセンスを十二分に伝えてくれている一方で、ファンタジーやSFを主題にしたデリケートな文章の表現内容を西洋言語ほど的確に翻訳してくれてはいない気がする。

 

僕は英語と中国語しかわからないのですが、この2言語を勉強して気づいたのは日本語の素晴らしさです。こんな言語は他にない…とはいっても他に2言語しか知らないのですが。表意文字表音文字の併用は、東洋文化と西洋文化を取り込み、なお日本という唯一無二の形に出力し続ける我が国の精神を表しているかのようです。